段
こんばんは。池田です。
いよいよ明日はボロ市。
2日間ともに平日開催となるとどれほどの方が来られるのか全く想像がつきません。
それでも段違いとも言えるほどの知名度があるボロ市ともなれば平日関係なしに多くの方がいらっしゃるのでしょうね。
どれぐらいの人混みになるのかは明日明後日のお楽しみ、ということで、前日ということもあり、商店街は段々と準備が進められています。
前日のお昼から準備できるなんて羨ましい限り。
僕は早めに営業を終えて、搬入して、明日は出すだけの状態にしておく、と考えていると、やはり準備と片付けは断固として拒否したいですね。
そんなこと許されないんですけど。
文句を言わずにさっと終わらせて、さっと帰って、明日に備えるしかなさそうです。
朝はあまりボロ市が現実的に思えなかったものの、夕方になってくると段々と現実味を帯びてきたな、と遠足の前日のような感覚になっている中、最近の学生の方の間では有線イヤホンをアクセサリーとして使うというのは本当なのでしょうか。
僕も片耳が聴こえないままの有線イヤホンを使っていて、聴かない時は少しの間首にかけることもありますが、まさかアクセサリーとして使うなんて。
もうついていけなくなっていることをしみじみと実感しつつ、同時に段々とおじさんになってしまっているのかと思うとなんだか寂しいものですね。
もう少し学生世代のことを理解していた方が良いのかもしれません。
せめて流行っているものぐらい把握する手段を持ち合わせないと。
まるで興味がないというのが本音ですが、たまには目を向けてみることにします。
学生の流行の移り変わりは段違いだな、と取り入れる気を微塵も感じさせない姿を見せながら、本日はYASHIKIのRakki Collar Cardiganのご紹介です。
情景が段々と移り変わる様を表した情緒を感じる仕上がりかと。
まずは毎度の如く、全体のイメージから。
ここでイメージされているのは『落輝』です。
はい、もちろんこの言葉は存じあげませんでした。
知らないながらもなんだか洒落た言葉だな、なんて思ったり。
そう言っていれば無知ぶりを発揮せずに済むだろうと算段をたてつつ、僕の無知ぶりは段々と広がっているかもしれません。
ご存知の方からすると言うまでもないかもしれませんが、この『落輝』は沈む太陽や入り日、夕日、落日などを意味する言葉とのこと。
これは覚えておきましょうかね。
こういった情景は段違いに綺麗であること間違いなしですが、見たことあるような、ないような。
小学生の時に行った海で見たような、見ていないような。
覚えていないので見ていないも同然。
ここでは夕日が段々と沈んでいく中で、沈みきる前に見せてくれる光の柱が表されています。
1本の光の線ではなく、複数の線が段々と立体的になっていることで、夕日の荘厳さが表されているようにも感じさせるでしょうか。
さらに裾まで線が走っていることで、夕日の光の強さも窺えるかもしれません。
なるほど、柄による段差をつけないからこそ感じられる穏やかさというわけですね。
これを秋冬のアイテムで日本海の荒波を表現するなら全面に柄を施していたりするのかな、なんて春夏は関係のないことを妄想してみたり。
僕の妄想は無視していただき、何はともあれ表現が格段に上手いのなんの。
これは病みつきになってしまうのは仕方ないですね。
個人的にはニットポロに匹敵するほどこの衿付きカーディガンが好きなんですよね。
なんて言いつつ、オープンしてからというものの、完売続きで迎え入れられていない事実に階段から転げ落ちてしまいそうです。
そろそろ迎え入れたいという本音もありますが、旅立ってくれることも祈ってます。
これまでももちろん羽織としての役回りをしっかり果たしてくれていましたら、それがより羽織としての立ち位置が昇段できたのかもしれません。
かなり太めなので、正直なところインナーとして着るにはなかなか厳しいかもしれませんが、春になったら格段に着たくなること必至でしょうね。
こちらも表裏で異なる色味の糸を使ったプレーティング編みが採用されていますが、どちらかというとそれをより感じられるのはBLACKかもしれません。
それでも夕日の光と表現した段々になった線の柄の部分などで深みを感じられ、立体感も増しているかと思います。
何より、どのアイテムを合わせようかと段取りを組む必要がないほどの寄り添い具合を発揮してくれていますのでね。
段々と沈みゆく夕日の光や穏やかな海が段々と黄金色に染まっていく情景が表現され、羽織としての立ち位置が格段に昇段したと感じさせる仕上がりのYASHIKIのRakki Collar Cardiganを是非。